風子のその後合格枠はあと3人だ。 風子はぐっと息を飲み込んだ。 大丈夫。私は歌もダンスも徹底して鍛えてきたんだ。 今まで泊まり込みで与えられた沢山の課題もいい評価で切り抜けてきている。 まわりの仲間たちも、私に頼ってここまで一緒に勝ち残ってきているんだもの。 そう自分に言い聞かせながらも、風子はもうだめなんだという絶望的な気持ち が湧き上がってくるのを抑えきれなかった。 私は日本人。 韓国芸能界に新しくデビューする新星グループのメンバー選別の中に合って、 どうしても不利なのは否めない。 最後の最後に日本人メンバーを踏み台にして、結局韓国メンバーが 勝ち名乗りを得るシーンを今までもたくさん目にしてきた。 風子は最後の希望に縋り付きながらも、心はもう泣き叫んでいた。 いつしかあふれる涙を必死にこらえながら、風子は最後の合格メンバーの 発表を聞いた。 …落ちた… 風子は目の前が真っ暗になった。 風子、という名前は彼女の母親がつけてくれたものである。 風のように自由に走り、生きて欲しい、という願いからつけたらしい。 風子の母は少し左足が不自由だった。風子とおなじようにお転婆な子供 だった彼女は、子供の時に栗の実を取りに上った木から転落し、 左の足首に軽い後遺症を残していた。 ありとあらゆる運動が得意だった彼女は、そのために随分と悔しい思いを 学生時代に何度も味わっていたのである。 しかし、その軽い後遺症がきっかけで、職場で思いやりのある風子の父親と出会い、 結ばれたのもまた別の一面だった。結局、差し引きではプラスだったのかな、 と時々肩をすくめてそんなことも風子の母は考えたりもしていた。 そんな両親にとって、風子は文字通り風の子であり、また輝く光の子であった。 抜群の運動神経と、天性の明るさに恵まれた風子は、幼い頃からみんなの人気者。 あらゆる遊びの先頭に立って、元気に飛び回っていた。 風子に転機が訪れたのは小学校2年生の時である。仲の良い近所の中学生の お姉さんの学園祭に遊びに行き、ダンス部のデモンストレーションを見て 全身がわくわくして止まらなくなったのだ。当時人気だったK-POPアイドル グループのコピーだったが、風子はそれに憑りつかれてしまったのである。 母親に夢中になってねだり、家から1時間もかけてダンススクールに 通う日々が始まった。 いつか私もK-POPアイドルになる。 それが風子の目標であり、夢であった。 両親はそんな風子を応援してはくれたが、一方では厳しい条件もつけた。 成績はオール4を下回らないこと。 もし、平均が4に達しなかったら、即座にダンススクールを辞めること。 両親は、アイドルスターになる道が、決して平らかではないことを よく承知していたのである。 学業をおろそかにしてまで、歌やダンスに集中することはとても 許すことはできなかった。 中学、高校と風子は学業もダンススクールもトップクラスの成績で 駆け抜けた。大学受験を目の前にして、風子は心を決めて両親に 訴えたのだった。 「お父さん、お母さん。私、韓国に行って、オーディション番組に 応募したいの。私の一生を左右する大事なお願い。だから許して欲しい!」 両親はさすがにためらった。風子は国公立大学に十分合格できる、 と教師が保証するだけの学力を備えていたのである。 せめて大学に合格してからでもよいのではないか。 両親の説得は風子には届かなかった。高卒でも年齢的には遅いくらい。 もうこれが本当に最後のチャンスだし、チャレンジなの。 泣きながら訴える風子の言葉に、両親も次第に心を許していったのだった。 「でもこれが最初で最後のチャレンジだからね」 母親は優しいながらも厳しく風子に言った。 「もし不合格だったら、すぐに勉強を再開するんだよ。 ただでさえ出遅れて勝負することになるんだからね。」 風子は約束した。 「わかった、お母さん。 でも私、絶対に合格してみせるから!」 こうして参加した韓国での合宿形式のオーディション。 風子は1つ1つの課題を見事にクリアしていった。 大丈夫、私はデビューする。 自信たっぷりにうなずきながら、でも風子はどこか 思いがけない失敗の予感に慄いていたのである。 それは、韓国のファン投票が当落に大きな影響があり、 日本人への評価が、時として厳しいことをよく知って いたからであった。 オーディションの最終課題も、風子は確かな手応えを 感じていた。歌も踊りもうまく決まった。審査員の 先生たちの講評もすごく好意的だった。 でも、最後の3名の中に、風子は入らかった。 そのあとのことは、風子はもうぼんやりとしか覚えていなかった。 喜ぶメンバーから離れ、不合格になった失意のメンバーたちと 重い足取りでそれぞれ帰郷の途についた。 帰宅した時、既に不合格の知らせを受けていた両親は そっと風子を抱きしめた。美味しいご馳走を作り、黙って 風子の心の傷が癒えるのを見守ったのである。 一週間、二週間、そしていつの間にか1か月が過ぎた。 その間、風子はぼんやりとうつろに日々を過ごすだけであった。 そんな風子に、最初は労りの目を向けていた母親だったが、 次第にいらだちを募らせていった。 ある日のこと、風子が昼過ぎまでベッドの中でぼんやり していると、母親ががらりと扉を開けて言ったのだった。 「風子、いったいいつまでそうやっているつもりだい? ぐずぐずとした負け犬なんて見たくないよ! 出かける前に約束したことを忘れたのかい? いつも目標に向かって走り続けるのが風子じゃないか!」 風子はぼんやりとその言葉を聞き、そして苦々しげに笑った。 「勉強か…」 こんな気分で大学受験に向かうことができるわけないじゃない。 お母さんには私の気持ちなんかわからない。 ところが次の母の言葉に思わず目を瞠ったのである。 「そうだよ、勉強だよ! たった一度失敗したくらいで、風子は今までの努力をみんな なかったことにしてあきらめちまうのかい? 落ちたのは勉強が足りなかったからじゃないか。 なぜ落ちたのか、受かった人と何が違うのか。 よく考え、人にも相談し、今までの倍努力しなくちゃいけないんだよ!」 え…勉強って歌やダンスの勉強のことなの!? 顔を上げた風子に母親は優しくも厳しく言った。 「さあさあ、まずは部屋の掃除からだね。そんな汚らしい部屋 からは何も生まれないよ。 掃除をして、ちゃんと風呂に入る。 そしてそのだらけ切ったたるんだ身体を一から鍛えなおすんだね」 風子は思わず笑いだした。 「ひどいよ、お母さん。」 そうだ、私はまた新しいスタートラインに立っただけなんだ。 しかも今までやったことは何一つ無駄になったわけじゃない。 韓国に行く前より、歌も踊りも格段に進歩した。 先生やファンが何を求めているかもよくよく身に沁みている。 行く前の私より、成功する確率はうんと上がってるってこと!? 風子は立ち上がると大きく伸びをして母親に言った。 「わかった。この部屋全部掃除して、これからの私にふさわしい 場所に生まれ変わらせるから。」 風子は母親を抱きしめた。 「ありがとう、お母さん。」 |